東欧旅行記③:わかりやすいコソボ紛争の原因

友人のしょうへい君に、ゲストライターとして全5回に渡ってセルビア・コソボ・ボスニア・クロアチアを紹介して頂きます。今回は第3回目です。
しょうへい君が旅行に行っていたため、久しぶりの更新です。

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コソボについて

こんにちは
第3回目のテーマは「コソボ」についてです。

httpflagpedia.asia
http://flagpedia.net/kosovo

コソボの基本情報

  •  人口 :180.5万人(2013年,コソボ統計局)
  •  首都 :プリシュティナ(人口60万人,推定)
  • 民族構成:アルバニア人(92%),セルビア人(5%),トルコ人等諸民族(3%)
  •  宗教 :イスラム教(主にアルバニア人),セルビア正教(セルビア人)等
  •  通貨 :ユーロ(1999年に独自に導入)

スクリーンショット (16)
(Googleマップより)

みなさんはコソボをご存知でしょうか?
コソボは2008年に住民投票の結果、セルビアから独立しましたが、まだそれを承認していない国も多く、国連にも加盟できていません。
そのため地図上ではセルビアの中に点線で示されていますね。

2015年8月現在、コソボを承認している国は日本を含めた115カ国で、国連加盟国の半数近くはまだ承認していません。

コソボでは、人口180万人のうち、アルバニア人92%を占め、セルビア系5%にとどまります。
また、セルビアが東方正教会を信仰しているのに対し、アルバニア人の多くはイスラム教徒です。

通貨に関してもセルビアが「ディナールを使っているのに対し、コソボは「ユーロ

こうして見ると、コソボがセルビアの一部だと考える方が難しい。
しかし、元々はここがセルビア王国の発祥地であり、セルビア人にとっては聖地のような場所でした。

コソボ紛争へ…

きっかけをたどっていくと…

コソボが現在のような状況になった大きなきっかけは600年前に遡ります。
1389年に「コソボの戦い」でイスラム教国オスマン帝国にセルビアが敗れてから、この地はオスマン帝国に占領されてしまいました。

その後、セルビア人の去ったこのコソボに住み着いたのは隣国のアルバニア人
彼らはイスラム教を信仰しながら長い間この地で暮らしていくことになります。

ユーゴスラヴィア誕生

1919年 第1次世界大戦が終わり、オスマン帝国が滅亡しました。
それと同時に、バルカン半島にセルヴ=クロアート=スロヴェーン王国という国ができます。
その名の通り、セルビアとクロアチアとスロヴェニアをくっつけたようなものです。

この国が後にユーゴスラヴィアと名前を変え、国家の形を変えながらも一応2003年まで続いていくことになります。(第二次世界大戦後は6つの国とセルビア共和国内の2つの自治州[コソボ・ヴォイヴォディナ]で構成されていましたが、2003年に「セルビア・モンテネグロ」と国名が変わります。)

ユーゴの運命はとある一人の人物の死によって動き出します。
寄せ集めの連合国を何とか一つの国家として維持できたのは、カリスマ的指導者ティトーの
存在が大きいと言われています。

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こちらがティトーさん

彼の死によってユーゴをまとめられる人物がいなくなり、各国の独立運動へと発展していきます。

独立運動へ

1990年代にユーゴスラヴィア内のそれぞれの国でユーゴスラヴィアからの独立戦争が勃発し始めますが、コソボもセルビア共和国に牙をむき始めることとなりました。

セルビア共和国内であっても、人口のほとんどをアルバニア人が占めているコソボ。
にもかかわらず、少数派のセルビア人がコソボで大手を振っている状態。

虐げられてきたコソボのアルバニア人は独立を目指すようになっていきます。

コソボの独立を問う住民投票では、投票率が9割近くにのぼり、そのほとんどが賛成であったにもかかわらず、セルビアはどこ吹く風。

逆にコソボの自治権を削り、高い役職の地位のほとんどはセルビア人が占め、公的機関や学校ではセルビア語のみ……

紛争勃発

このセルビアの横暴に対してアルバニア人主体の「コソボ解放軍」が抵抗を始めます。
そして1998年、ついにセルビアがコソボのアルバニア人に対して軍隊を差し向けるのです。

コソボ紛争の始まりです。

しかし、このセルビアの侵略にアメリカを中心とするNATOもまたセルビアに対し軍隊を出動させ、首都ベオグラードを空爆しました。

関係あったか分かりませんが、かつての冷戦下ではアメリカは西側陣営、セルビアはロシアを中心とする東側陣営でした。

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街を破壊し尽くされたセルビアは降参し、アメリカの手助けによってコソボは一応の独立を達成しました。

なので、コソボの首都にはクリントン元大統領の銅像が建っていたり、ブッシュ通りという通りもあるほど。

コソボ-クリントン像

https://www.compathy.net/tripnotes/846

この問題は一応の収束がつきましたが、今度は少数派のセルビア人がアルバニア人に迫害されるなど、現在でも対立関係は続いています。

そこら辺の話をしてくれたセルビア人のホステルマザーですが、私はよくききとれませんでした笑

しかし、どうやらコソボを嫌っている感じではありませんでしたよ。
同じ国の人でも考え方は人それぞれ。

「◯◯人」というくくりではなく、「◯◯さん」という個人として付き合っていきたいですよね。

それでも!!

さて、ただでさえ暗いイメージを持っている人が多い東欧なのに、こんな話をしてしまってはなおさら明るいイメージは持ちづらいかも……

でもセルビアはホントに素晴らしい国だったんですよ!
これは声を大にして言いたい!

優しい人たち、のんびりした時間、物価の安さも。

なので、最後はセルビアの美しさをお送りしながらセルビア編を終えたいと思います。

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次回は東欧旅行記④:ボスニア紛争の傷跡と現在です。
お楽しみに!