東欧旅行記⑤:クロアチアの歴史

友人のしょうへい君に、ゲストライターとして全5回に渡ってセルビア・コソボ・ボスニア・クロアチアを紹介していただきます。
第5回、このシリーズの最後を飾るのはクロアチアです。

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クロアチアの基本情報

  • 人口:428.5万人(2012年現在)
  • 首都:ザグレブ
  • 言語:クロアチア語
  • 宗教:カトリック、セルビア正教
  • 通貨:クーナ
  • 民族:クロアチア人(90.4%)、セルビア人(4.4%)他(2011年現在)

クロアチア

クロアチアの歴史

①東欧の中の西欧

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クロアチアは他のバルカン諸国とはちょっと違います。
バルカン半島の国々の多くは東方正教会を信仰していますが、クロアチア人の多くはカトリック

今回は少し宗教のことに触れてみようと思います。セルビアを含め、東欧の多くの国では東方正教会が広く信仰されています。

上の地図を見ると、クロアチアはカトリック国のイタリアやオーストリアに地理的に近く、影響を受けやすかったことが分かります。
ちなみにクロアチアを支配してきたのは他のバルカン諸国のようにオスマン帝国ではなく、オーストリアでした。

このバルカン半島はカトリック・東方正教会の両勢力が衝突した場所で、クロアチアはその境界線になってきました。

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http://haruyama-shoka.blogspot.jp/2015/06/blog-post_5.htmlより引用)

きっかけはフランク王国の英雄、カール大帝がこの地を支配したしたことから始まり、文字も東ヨーロッパが使うキリル文字ではなく、西ヨーロッパのラテン文字を使用していました。

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※カール大帝とフランク王国

余の務めは 聖なるキリスト教会を 

           異教徒と不信心者から守ることだ”

フランク王国は5世紀に建てられた王国で、早くからカトリック教会と手を結び勢力を拡大していきました。ヨーロッパ全域とアフリカ北部を支配下に置き、のちに現在のフランス・ドイツ・イタリアの原型のような形に分裂しました。

カール大帝はこの王国の最盛期の王様。ローマ教皇から冠を授けられ、正統なローマ帝国の後継者となりました。しかし、彼の目指したものはローマ帝国を遙かにしのぐ、「キリスト教帝国」。
ローマ帝国の復活よりも新たなヨーロッパ帝国の建設を目指し、あのナポレオンでさえカール大帝を手本としました。彼らの夢は「EU」という形で現代に結実することとなります。

ちなみにEUの中で、最も新しい加盟国がクロアチアです。(2013年加盟)

②第一次世界大戦後

それまでオーストリアの支配下にあったクロアチアは大戦後、その支配から離れ、ユーゴスラヴィアの一員となりました。

※ユーゴスラヴィアとは・・・
第二次世界大戦後、バルカン半島の6つの国2つの地域が集まってできた連邦国家です。
・6つの国 :スロヴェニア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・セルビア・モンテネグロ・マケドニア

・2つの地域:コソヴォ・ヴォイヴォディナ
(ユーゴスラヴィアについては、
第1回 東欧旅行記①:セルビアの歴史
第4回 東欧旅行記④ボスニア紛争の傷跡と現在でも少し触れています。)

このユーゴスラヴィアの中で、セルビア人が大きな権力を持っていくことに反発して生まれたのがウスタシャ」です。ウスタシャは「純粋なクロアチア人の国家」を目指します。
このウスタシャに反発したセルビア人組織の「チュトニク」との間で、凄惨な殺し合いも始まりました。

ウスタシャは第二次大戦でナチスの傀儡政権となり、チュトニク弾圧に拍車がかかります。

③内戦と独立

クロアチアも他のユーゴスラヴィア諸国と同じように独立戦争を戦いました。
お隣のスロヴェニアの独立戦争が「十日間戦争」といわれるほど短期間だったのに対し、クロアチアでは1991~95年まで内戦が続きました。
約35万人の死者を出したこの戦争は、国内からセルビア人を追い出す形でクロアチアが独立を果たしました。

第4回目である今回のテーマは、ボスニア・ヘルツェゴビナです。死者20万、難民200万人をだす、第二次大戦以後「最悪の紛争」であるボスニア紛争について触れていきます。

④クロアチアのどこそこ

クロアチアには美しく、かわいらしい場所がいろいろあります。
その中でも「ここだけは!」という場所を定番ですが、ご紹介します。

ドブロブニク

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ドブロブニク、またの名を「アドリア海の真珠」。
この真珠はジブリ映画「魔女の宅急便」の舞台となりました。

オレンジ色の屋根と、白い壁、青く澄んだアドリア海と空のコントラストはまさに真珠!
ドブロブニクはクロアチアでありながら、クロアチア本土とは繋がっていません。

ドブロブニク
ドブロブニク2

ドブロブニクはその昔、ラグーサ共和国という名前で、5大海洋共和国の一つでした。
同じく5大海洋共和国のベネチア共和国とはライバル関係。

あるときベネチア共和国とオスマン帝国が戦争になったとき、この争いに巻き込まれるのを避けるため、ラグーサ共和国が領土の一部をオスマン帝国に与え、そこが今ではボスニアの領土となってしまったために、本土と分断されてしまったとか。

ともあれ、過去にイタリア系の人々がこの地に入り込んだためか、イタリアらしさを感じられる美しい街の雰囲気に誰もが飲み込まれてしまうことでしょう。

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「世界で最も美しい街」と言われるチェスキー・クルムロフ。チェコ南部にある小さな世界遺産の街の、夏と冬をお楽しみください。

実はこの街、ユーゴ内戦で、攻撃対象とならないように武装解除していました。
それなのにセルビア軍はこの街を7ヶ月も包囲し、大きな被害が出たのだそう。
現在の美しさはユネスコの復興作業のたまもの。

私はここに滞在中、一般人が旅行客用に貸し出している家の離れを借りていました。
ここの家の老夫婦オーナーは全く英語が通じません。
料金を払うとき母屋を訪ね、クーナを持っていなかったのでユーロで払いたい旨を伝えたのですが、電話を通じて老夫婦の息子さんに通訳してもらったほど。
きっと上の世代の人ほど母国語が染みついてるのでしょうね。

ここは旧市街から徒歩5分のところでしたが、旧市街の外にも哀愁漂う海岸線やかわいらしい店もちらほら。

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プリトヴィッツェ湖群国立公園

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ここは首都ザグレブからバスで2時間ちょっとのところにある国立公園で、大小90以上の湖があり、自分の足でどんなところだって行けちゃう。

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▲例えばこんな滝が落ちるところの真上
OLYMPUS DIGITAL CAMERA▲こんな滝壺の間近へも!OLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERAOLYMPUS DIGITAL CAMERA

とてものんびりできる場所だったのですが、このときまだ3月で春の到来を待ちわびる時期。
寒いです。木々もまだつぼみを付け始める頃でしょう。
ここは緑が茂り、熱い日差しを木陰で涼むことのできる”夏”にいくことをオススメします。

帰りはバスが来なかったので、たまたま来た乗り合いタクシーみたいなものに、他の方達と乗せてもらうことができました。


ザグレブ

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ザグレブはクロアチアの首都で、とても利便性が高い!
長距離バスも電車も、宿もスーパーも、多くのものが密集してあるから過ごしやすいし、トラム(路面電車)も街の中心地まではタダで乗れちゃうんです。

そして街のいたるところにおとぎ話のような世界が広がっていたりします。
こんな素晴らしい街ザグレブを見てみましょう。

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▲標識の記号さえもどこかかわいらしい

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▲ドブロブニクから離れてもオレンジの屋根

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さいごに

こんなかわいらしく、美しく、物価の安い国クロアチア。

ヨーロッパのイメージそのままをいいとこ取りできる!女性の方にはきっとたまらない場所になることでしょう。
男性は彼女を連れて行くといいでしょう。

さて、これにて5回に渡る東欧の歴史を歩くシリーズを終えます。
意味が分からないこともあったでしょう。
屁理屈じみてる所もありました。

ただ、旅をする上でその国の歴史や背景を知っておくと、街を歩くときに視点の先が広がるのは確か。
蚊ほどの東欧への興味が広がってくれればこれ幸い。
ありがとうございました。