【2017 イラン⑬ヤズド~イスファハーン】世界の100000000分の1

スポンサーリンク
スポンサーリンク

旅のルート
東京→香港→中国→ベトナム→中国②→ラオス→タイ→ラオス②→タイ②→ミャンマー→タイ③→インド→バングラデシュ→インド②→ネパール→インド③→パキスタン→中国③→東京→タイ④→マレーシア→イラン→アルメニア→ジョージア→トルコ→チェコ→ドイツ→オランダ→スイス→ドイツ②→ウクライナ→ポーランド→ハンガリーセルビア→マケドニア→アルバニア→コソボ→モンテネグロ→ボスニア・ヘルツェゴヴィナ→クロアチア→スロベニアイタリア→ポルトガル→モロッコ→ドイツ③→キューバ→メキシコ→グアテマラ→メキシコ②→コスタリカ→パナマ→コロンビア→エクアドル→ペルー→ボリビア→パラグアイ→ブラジル→ドイツ④→フランス→日本

メイです。

世界旅行記、2017年8月のイラン編です。

2017 世界一周 イラン
旅行記旅のコラム宿情報旅の情報

    マスジェデ・ジャーメでぼーっとする

    2017/8/16 イラン ヤズド

    美しき青と絨毯

    朝ごはんを食べて、午前中の比較的涼しい時間にマスジェデ・ジャーメに行った。(入場料80,000リアル)。

    あまり荘厳な感じはしないけれど、とても落ち着く空間なので1時間くらいボーっとする。

    ▼この若者たち、結構騒いだりふざけてたりしてたけど、いいのか?

    ▼タイツを履いているとはいえ、今思えば膝上はマナー違反だったかもしれない

    自炊 on the bed

    昼ごはんは部屋で自炊することにしたので、八百屋で野菜と果物を買った。

    コイルヒーターでお湯を沸かし、十徳ナイフで野菜を切って入れる。
    昨日の残りの缶詰にスープを足して、簡易トマトスープ完成。

    夕飯も自炊をすることにしたので、ツナ缶だけ買いに外に出た。

    商店に行くと、65000リアルと言われた。
    嘘でしょ?1缶200円以上するの?

    頭の良さそうな子どもが店番をしていたので、あぁこれは舐められているんだなと思い、他の商店に行って聞いてみるも、同じ値段だった。
    どうやら本当だったらしい。

    何も買わず、若干憤慨しながら帰った。

    外食が高い・宿にキッチンがない・スーパー/市場がない・食料品が安くない。
    未だ食に関して自分たちのスタイルが見つけ出せない、イラン。

    仕方なくツナ缶なしで自炊。
    パスタを茹で、野菜を茹で、スープパスタの完成。

    別にツナ缶がなくたってご飯は作れるけれど、具材のレパートリーが野菜とパスタとナンしかない。

    そういえば、ナスは英語で「Egg plant」。
    なんで「Egg」なんだろうと思っていたけれど、昼に買った白いナスを見て納得した。
    もともとナスは白かったらしい。

    ▼右下に白いナス

    デザートにりんごと桃。
    フルーツは比較的安いのが嬉しい。

    イスファハーンは世界の半分?

    2017/8/17 イラン ヤズド~イスファハーン

    旅の空白

    朝食を食べて、チェックアウト。
    今日はヤズドを出てイスファハーンに移動する。

    大通りに出て、行きと同じバスターミナルまでタクシーで。
    来たときと同じく、バスターミナルまで路線バスが出ていないのがやっぱり不思議でならない。

    タクシーは楽だなぁ。
    何も考えずその場で手を上げれば車が止まって、行き先を告げるだけで着いてしまう。

    でも、私たちの旅にとって「移動」というひとつの工程は、発見や達成感を見出す大事な旅の要素だ。
    移動にも手間をかけることで、移動すら観光のようなひとつのイベントになる。
    それを奪われたようで、この楽さに少し嫌気がさす。

    別に苦労をしたいわけではない。

    自力で簡単にたどり着くことができたなら、「簡単に着いた」という体験がある。
    でもタクシーで行ってしまえば、その道程が簡単だったか難しかったかすらもわからない。
    気温がどうだとか、坂だったとか、どんな人とすれ違ったとか、そういうこともわからない。

    移動がただの「移動」にしかならない。
    その距離と時間が、旅において空白になる。

    そんなことを言ったって、自分たちが今回の時間と予算でできるのは、今はタクシーに乗ること。
    おとなしくタクシーに連れて行かれる。

    バスターミナルに到着。
    予約したチケットの支払いを済ませ(一人150,000リアル)、バスは30分遅れで出発した。

    紆余曲折

    16時ごろにイスファハーンのバスターミナルに到着した。
    なんだかんだで5時間かかった。
    休憩はなかったと思う。寝てただけかもしれないけれど。

    近くのおじさんに行き方を聞こうとすると、「どこへ行きたいんだ?アミールカビール(外国人に有名な宿。以下アミカビ)か?」と。
    外国人はみんなここ泊まるんだろうな。

    91番バスに乗り、運転手に「アミカビまで」と伝えると、宿の目の前で下ろしてくれた。

    紆余曲折あり、チェックイン。

    ▼紆余曲折

    イラン イスファハーンの有名だけどおすすめできない宿
    イラン イスファハーンで私たちが泊まった宿、Amir Kabir(アミールカビール)を紹介します。

    (簡単に言えば、アミカビは高かったので他の宿に聞きに行こうとすると、アミカビスタッフがその宿に電話して私たちを囲い込もうとする。その他の宿にも宿泊拒否に遭い、諦めて値下げしてくれたアミカビにチェックインすると、初めに言っていたシャワー・トイレ・Wi-Fiなどの設備はなく、牢獄のような部屋。値下げしてくれたわけではなく、グレードの低い部屋をあてがわれただけだった。)

    私たちのテンションはとにかくガタ落ちだ。
    この街から早く出たくて、すぐに観光に出かけた。

    特にシュンは、イランで一番イスファハーンを楽しみにしていたのに、今はエマーム広場に行ったって写真を撮りたくもないらしい。

    先に昼ごはん探し。
    いいよもうフェラフェルで。
    と思ったら、フェラフェル屋すら見つからない。

    イランを嫌いにはなりたくないから、どうにか持ち直したいけれど、何をするにも高くてつらい。
    この国は、節約バックパッカーには向いていない。
    十分なお金を持っていれば、こんな気持ちにはならなかったのかな。

    ああ、イランで嫌な気持ちになるたびに、今までお世話になったイランの人たちに謝りたい気持ちになる。
    優しい人もいるけれど、ムカつく人も、ムカつくことも、同じくらいある。

    今の私たちにとって、イランはそんな街だ。

    ベンチに座って

    エマーム広場へ。

    世界史専攻のシュンからすると、ここは相当アツい場所らしい。
    世界史をやっていた人ならば、一度は聞いたことがあるであろう「イスファハーンは世界の半分」という言葉。

    古くからの政治・文化・交通の拠点であり、16世紀末にサファヴィー朝の首都に定められ発展した。当時の繁栄は「エスファハーンは世界の半分」と賞賛され、この街を訪れたヨーロッパの商人も繁栄の記録を残している。イラン人にとってエスファハーンは歴史的・文化的に重要な町であり、町の美しさは「イランの真珠」と例えられる。

    参考:Wikipedia

    ▼結局写真は撮る

    現代の基準では「世界の半分」ではないな。
    「世界の100000000分の1」くらいかな。
    でもとにかくすごく広くて、賑わっていて、雰囲気がいい。

    ▼イラン国内からの観光客も多い

    ベンチで休憩してると、「一緒に写真を撮ってもいい?」と聞いてきた女の子たちがいた。
    顔を見ても、どこの国の人なのか見当もつかない。
    中国人ぽくもあり、イラン人ぽくもあり、日本人ぽくもあり、化粧がけっこう濃い。
    とにかくかなりアジア的な顔なのだけれど、初めて見る顔立ちだ。

    気になって聞いてみると、アフガニスタン!
    アフガニスタンの人たちってこんな顔してるんだ!とかなり驚いた。
    と同時にものすごく親近感が湧いたし、気分が沈んでたからちょっとテンションが上がった。ありがとう。
    わたしのカメラでも写真を撮っておけばよかったと、彼女たちが去ってからかなり後悔した。

    ▼イランの少年たちの間では自転車が大流行しているらしかった

    ▼みんなが技を繰り出す中、この少年が一番上手でキマってた

    引き続きベンチに座ってぼーっとしていると、英語を勉強中なので旅行客に片っ端から声をかけているという学生が話しかけてきた。

    彼らの質問がなかなかおもしろかった。

    「バザールで奥さんに何か買ってあげましたか?」
    (イスラム教っぽい質問だな……。)

    「日本は原爆を落とされたのに、なんでアメリカと仲良いのですか?」
    (イランっぽい質問だな……。)

    広場の外周はバザールになっている。
    客への声掛けも観光地っぽい。日本語もちらほら。

    憂鬱の国

    そろそろ夕飯探し。
    もういいよ、フェラフェルで。が口癖になりつつある。
    大好きなご飯の時間がこんなに憂鬱になるなんて。

    いじけて気分が悪いときに限って、さらに増えるチュンチョンチャン(中国人を差別する言葉)攻撃。(チンチャンチョンとも言う)
    負のオーラが、さらに大量の負を呼び込む。

    すれ違いざまに微妙に聞こえるように言ってくるのが一番気に障る。

    言われる度にいつも考えるけれど、どういう気持ちで言っているのだろう?

    日本人からすると、日本に外国人がいたとして、ジロジロ珍しそうに見たり、なに人だろうとつぶやいてみたりすることはあっても、
    本人に聞こえるように、「〇〇人!」と国あてゲームみたいに言ったり、ニヤニヤしながら「〇〇人~」と言ってみたり、すれ違うときに耳元で「〇〇人」と言ったりすることは考えられない。
    いても少数か、分別の付かない子供や学生くらいだろう。

    だけどこの国は、学生はもちろん、子供を抱いた親まで、かなりの割合の人が言ってくるから呆れる。

    ここまで多いと、悪気はなくて、他の理由があるんじゃないかと思うけれど、ペルシャ語にも「中国」や「中国人」という意味の単語がちゃんとあるわけだし、やっぱり中国人のことをバカにしたくて言っているとしか思えない。
    はっきり言わせてもらうと、イランは中国のことを馬鹿にできるような国ではない。

    私たちが中国人と間違えられてしまうのは当然だし、百歩譲って国あてゲームみたいに「チン!(中国のこと)」と言うのはまぁいいとする。

    でも「チュンチョンチャーン」はだめだ。理解できない。
    例えてみれば、わたしがイラン人とすれ違うときに「鼻整形大好きアラブ野郎」って耳元でつぶやくようなもんじゃないか。違うか。

    こうやって毎回理解しようとまじめに考えて、結局もっと憎悪が増してしまう。

    自分の経験や頭の中の基準で考えると、理解ができない。
    でもきっと、こんなにも多くのイラン人がこういうことを言うのには、国民性、歴史、宗教、教育、経済などいろんな問題が関係しているのだと思う。
    それにしても腹が立つ、こんな国。

    宿のシャワーもまた酷かった。
    まず電気がないので薄暗い。
    そして水圧が弱いというか、水が分散して、線が数本飛び出してくるだけだ。
    もう明日にはここを出れると思うと嬉しい、ここにもう1泊なんて無理だ。

    好きで旅をしているのに、毎日ぐちぐち文句垂れてるのも、自分たちだってもうやめにしたい。
    今日はもう寝て、気分をリセットしよう。
    そして明日の夜行でマシュハドに行こう。

    Comments

    タイトルとURLをコピーしました