【2017 ナゴルノ・カラバフ】ゴリスからヒッチハイク、温かい人たち

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シュンです。

世界旅行記、2017年8月のアルメニア編です。
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アルメニアの物価は安い

2017/8/25 アルメニア ゴリス

朝起きてシャワーを浴びると水しか出なかった。
後でメイが宿の人に聞くと、「あーそこのシャワーはお湯出ないからあっち使ってー」と言われたらしい。
先に言ってくれよ…

朝食は持っていたクッキーやコーヒー、紅茶など有り合わせで済ませる。

昼過ぎに街へ出た。メイは久しぶりに半袖Tシャツ。スカーフと長袖じゃないというこの開放感!

昼食を食べようと思ったけれど、食事を出すような店があまりない。
そのかわり商店や八百屋はたくさんあったので、なにか買って帰って食べよう。

とにかく八百屋がすごく良い雰囲気。なんでイランにはこういう店があまりなかったのだろう。

街はかなり静かで、イランとは明らかに別の国だ。
空気自体が全く違う。人の顔つきも違うし、今まで居た場所と地形も違うから気候も違う。

ATMでアルメニア・ドラムをおろして、SIMカード(VivaCell、1GBで1500ドラム)を買って、商店を覗く。

……

思わず絶句するほどの安さだった。イランから来たから、すべてが安く感じる。
一瞬の間の後、2人とも大興奮で一つひとつの商品をくまなく見て回る。

ビール2本、ウォッカ、ソーダ、チーズ、ハム、大きいパン2つ、卵3つ、シナモンと胡椒で3480ドラム(約790円)。あとから見るとあまり安くないけど、このときはすごい興奮した。
八百屋でトマト2つ、たまねぎ、じゃがいもで160ドラム(約37円)。

パンもハムもチーズも一日では食べきれない量だし、安い。
昼からビールとウォッカ。最高だ~。

夕飯も自炊。
あー、ビールがうまい。

ヒッチハイクでナゴルノ・カラバフへ

2017/8/26 アルメニア ゴリス~ナゴルノ・カラバフ ステパナケルト

シャワーを浴びて朝食を食べて、9時半過ぎにチェックアウト。
今日はナゴルノ・カラバフに向かう。

ナゴルノ・カラバフ(別名アルツァフ共和国)は、アルメニアの隣国アゼルバイジャンの領内にある、未承認国家。

未承認国家というのは、「国家」を自称しているが、国際的には「国家」と認められていない国のこと。
日本政府もナゴルノ・カラバフという国を承認しておらず、アゼルバイジャン内にある「アルメニアによる占領地域」と定義している。

「未承認国家」というとなんとなくミステリアスな響きになるが、未承認国家は他にもたくさんある。

例えば、台湾(中華民国)。
こんなに身近だと思っている日本だって、中国共産党との関係を優先して(色々あるけれど)台湾を国だとは認めていない。

ナゴルノ・カラバフがなぜこういう状況になっているかと言うと、それは古くから続くアルメニアとアゼルバイジャンの領土争いが今も続いているからだ。

ナゴルノ・カラバフの領域は、地理的にはアルメニアとアゼルバイジャンのちょうど真ん中あたりにある。
ロシア革命によりロシア帝国が崩壊し、ソ連が成立した後、ナゴルノ・カラバフはソ連によりアゼルバイジャン領とされた。
しかしナゴルノ・カラバフの住民の多くはアルメニア人。
その後、一度はアルメニア領とされたものの、アゼルバイジャンの反対により再びアゼルバイジャン領となった。
ソ連崩壊前後にはアルメニアとアゼルバイジャンとの間でナゴルノ・カラバフ戦争が起こり、ナゴルノ・カラバフは独立を宣言。
そして世界のほとんどの国からの承認を得られないまま、現在に至っている。

正直言うと、僕も細かい話は今まで知らなかった。
でも今回ここに来て、知らなかったことを知ることができて良かったと思っている。

10時半か11時に、ゴリスからナゴルノ・カラバフの首都ステパナケルト行きのマルシュルートカ(乗り合いバン)があるらしい。

乗り場らしき場所に行ったが何もなく、うろうろしているとマルシュルートカを発見した。
と思ったらちょうど出発してしまった。
あー。

ということで、ヒッチハイクをすることに。
さっそくスケッチブックにステパナケルト(Ստեփանակերտ)と書いて開始。

車はそんなに多くはないけれど、クラクションを鳴らしてくれたり、手を振ってくれたり、両手でバツマークを作ってくれたりと、ほぼ必ず反応してくれる。
みんな優しいなあ。

そうこうしている間に一台の車が止まった。
途中の幹線道路の分岐点までだけど、と乗せてくれることになった。

下ろしてもらったところは本当になにもない分岐点だった。
標高が上がったからか空気が澄んでいて、風が気持ち良い。

ヒッチハイクを再開して、しばらくして今度はラチンという場所に行くという男性が乗せてくれた。

途中で通ったチェックポイント(国境)では、パスポートを見せるだけでOK。
ナゴルノ・カラバフにもビザのようなものがあるのだが、それは着いてからも申請できる。当日中にステパナケルトの外務省に行くように言われた。

ラチンに到着。ありがとうございました!

ここはもうナゴルノ・カラバフだけど、通貨はアルメニア・ドラムが使える。

売店でアイスを買った。100ドラム(約23円)。
湿気ったコーンにコーヒー味のアイスがぎっしり入っていて、駄菓子みたいでおいしい。

ヒッチハイクを始めると、近くにいた兄ちゃんがコーヒーを買ってくれた。
優しいなあ。

売店のお姉さん二人組が、ニコニコしながら「オートストップ(ヒッチハイクの別名)してるの?」と聞いてきた。
そうだよと答えると、なんと近くにいた車に交渉してくれて、乗せてくれることになった。
なんて親切なんだ。

最近、僕たちの旅は本当に人の優しさに支えられているんだな、という感覚が強くなっている。

乗せてくれたのはマヘードさん。乗用車でパンの配達をしている。
車の中はパンが入ったダンボールでぎっしりだった。

途中、配達のために山村に寄った。
景色が良いところで一度停まって写真を撮ってくれて、パンも一つくれた。

このあたりの景色は本当にすごかった。
山がなだらかで丘っぽいからか、ずっと尾根を走っているような気分になる。
中国の雲南みたいだな~と懐かしくなる。

ステパナケルトのバスターミナルまで乗せてもらった。
お礼を言って車を降り、宿を探す。

一番近くで良さそうだったR&K Hostelへ行くと満室で、隣にある親戚の宿を紹介されてそのままそこに決めた(ナゴルノカラバフ ステパナケルトの立地が良い安宿)。

部屋はきれいだし、キッチンもあるし良さそうだ。

▼昼食

ナゴルノ・カラバフのビザを取得するため、外務省のビザ窓口へ向かう。

用紙に記入して、3000ドラムを支払い5分くらい待つとすぐに発行された。
ビザはパスポートに貼るシール式で、貼らずに渡される。

このビザをパスポートに貼ると、アルメニアやナゴルノ・カラバフと敵対しているアゼルバイジャンやトルコに入国する際に問題になる場合があるらしい。

このあたりは敵対関係が色々複雑で、隣国同士はたいてい仲が悪い。

アルメニアとアゼルバイジャンはナゴルノ・カラバフで争っていて、さらにアルメニア領内にはアゼルバイジャンの飛び地であるナヒチェバン自治共和国がある。そしてトルコとアルメニアはアララトの領有権とアルメニア人虐殺の歴史認識で争っている。
アゼルバイジャンとトルコは、同じテュルク系民族でありムスリム(イスラム教徒)であることから良好な関係を維持している。

そのまま街を散策する。
ゴリスよりも発展していて、きれいで整っていた。

▼街なかにぶどうがある

ステパナケルト唯一の見どころとも言われている「我らが山(我らの山)」へ。
写真の通り、ただの巨大な石碑で、それ以上でも以下でもない。

これは観光スポットとして見るとイマイチなんだけれど、そんな簡単な話ではない。
我らが山はナゴルノ・カラバフに住むアルメニア人のシンボルであり、観光名所として作られたわけではない。

石像の老夫婦は疲れた顔をしているようにも見える。

アルメニア人やアゼリー人(アゼルバイジャン人)はこれを見てどんなことを思うのだろう、と考えてみたけれど、分からない。

地元のカップルがウェディングフォトを撮るために訪れていて、親戚や友人らしき人も続々集まってきた。
皆カラフルで華やかな衣装を身に纏っている。

ここはそういう写真スポットでもあるんだな。

帰りに、野菜や果物を買うために市場に寄った。
もう夕方だし終わりかけだけど、おいしそうなトマトやネギ、ぶどう、ももなどがたくさん並んでいる。

何を買おうかと見ていると、どこかの店のおっちゃんが近づいてきて袋を差し出してきた。
中を見ると、ぶどうが2房。

「持ってけよ」と言っている気がする。
「いいからいいから。それより写真を撮ってくれよ」

それからは、次から次へと色んな人が色んなものをくれた。
ぶどう、もも、りんごで袋3つ分くらい。

どうしてこんなに優しいんだろう。
みんなすごくニコニコしていて、温かい顔をしている。

夕飯用にナスとトマト、玉ねぎを買った。

それから、香草が包まれた薄いパンのようなものと鶏肉を買って、宿に戻る。

▼この袋のほとんどがもらいもの

夕飯を作って食べる。
今日もビールとウォッカがうまい。

色々な人たちの親切を受けて、今日も楽しく旅ができているのだということを噛みしめる。
本当にありがたいことだ。

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