これは、2011年9月にはじめてのヨーロッパ旅行として、女友達と2人でパリに行ったときの記事です。
- 【2011 パリ①】はじめてのパリ。ノートルダム寺院、ドラクロワ美術館、シャルティエ大衆食堂
- 【2011 パリ②】雨と寒さ。ヴェルサイユ宮殿、リトルイタリー
- 【2011 パリ③】ドレスな1日。ル・ムーリス、ルーブル美術館、凱旋門
- 【2011 パリ④】新たな興味。カタコンブ、アンヴァリッド、軍事博物館
- 【2011 パリ⑤】憧れの絶景。モンサンミッシェル、ボーモン村、ナタリーポートマン
- 【2011 パリ⑥】磨く感性。ルーブル美術館、アンジェリーナ、ルーブル美術館
- 【2011 パリ⑦】ベルギー日帰り旅行。ワッフル、フリッツ、ムール貝
- 【2011 パリ⑧】芸術の街。マリアージュフレールとピカソとトッポギ
- 【2011 パリ⑨】また会おうパリ。クリニャンクール、サクレクール寺院、植物園
- パリの高級ホテル「ル・ムーリス」でのランチと悲劇
さようなら、パリ
朝ごはんは、砂糖とレモンのシンプルなクレープ。
こういうのが実は一番おいしかったりする。
観光9日目。
午前中は、パリ最大の蚤の市クリニャンクールへ向かう。
特に買うものはないが、見ているだけで十分楽しい。
ただ、売り上げが気になる・・・。
朝から外でチェス。
怖すぎる。
銃。
いいかんじ。
ランチはモンマルトルでがっつりステーキ。
食べごたえがあっておいしかった~
日本のステーキはやわらかくて脂がのっててナンボっていう感じだけど、こっちのステーキは、肉!って感じで硬くて歯ごたえがある。
わたしはヒレみたいなやわらかい肉が好きだけど、たまにはこれもいい。
(ステーキ屋でバイトしていたので、ステーキにはちょっとうるさい。)
サクレクール寺院へ向かう。
メリーゴーランドは画になるなぁ。
素敵だったので撮らせてもらった!
サクレクール寺院に向かう途中で、なにやらガラの悪い黒人集団が。
これがけっこう有名な、観光客の腕に勝手にミサンガを巻き、お金を払えと言ってくる詐欺集団だ。
足早にすり抜けようとするも、案の定しつこくまとわりついてくる。
1人や2人ではなく5,6人のけっこうな大人数で囲んでくるから威圧感がある。
早歩きをしてもいつまでもついてくるので、走って逃げると諦めたようだ。
そのとき、彼らはわたしたちの背中に向かって「フクシマ!フクシマ!」と叫んだ。
どういうつもりで言っているんだかわからないけど、福島の震災のことを言えば日本人なら振り向くだろうと思ったのだろうか。
ダシにされたかと思うと腹が立った。
階段をのぼると、サクレクール寺院。
ここからパリが一望できるから観光客もいっぱい。
寺院を出てしばらく歩いていると、小雨が降ってきた。
寒くて耐え切れず、お土産屋さんでパーカーを友人とお揃いで買った。
パリ大学のパーカーだ。
パチモンだと思うけど、内側が裏起毛になっていてあったかいから、今でも部屋着として活躍している。
そういえばお土産屋さんにこんなものがあった。
のちに気付いたが、ヨーロッパのお土産は、どこの国も下ネタに走る傾向がある。
映画『アメリ』でアメリが働いていたカフェ、カフェ デ ドゥ ムーラン。
人がいっぱいで座れなかったので、写真だけ撮ってきた。
アメリファンにとっては有名な聖地だろう。
『アメリ』はおしゃれでかわいくて不思議な映画だったけど、途中で退屈になって寝てしまった。
ムーランルージュは外観だけ。
歌やダンスなど、ショーをするキャバレーで、女性でも楽しめるらしい。
正直、男の人のためのいかがわしいお店かと思っていた。
モスケ ドゥ パリ。
パリのモスク。
パリに来てから教会ばかり見ていたから新鮮。
スペインのアルハンブラ宮殿を参考に作られたらしい。
このパリ旅行の次の年に、スペインで本物のアルハンブラ宮殿に行ったが、なるほど似せているのがわかる。
すこし雰囲気のちがうパリがのぞけて良かった。
ここをでて、現在時刻16時くらい。
夕飯までは時間があるけど、特に行くところもない。
パリ旅行最終日にして、行くところがなくなった(笑)
だいたいの有名な観光地は制覇してしまったのだ。
話し合いの結果、さほど興味のないパリ植物園に行くことにした。
晴れてきた。
人がほとんどいなかったので、地元の人でもこないんじゃないか?と思った。
でもそのおかげで思う存分写真が撮れた。
パリ最後の晩餐は、ちょっといいとこでディナー。
デザートはティラミス。
ワインを飲んで、かなりほろ酔いになっている。
ハッピー野郎→ハッピー野郎→無。
帰りは遅くなったので、また変人のふりをして帰った。
次の日の朝、パリ10日目。
飛行機に乗るまで時間があるので、まずはゆっくり朝ごはん。
高級デパートを物色。
内装がスゴイ。
さようなら、パリ。
帰りはあっけなく。
気づいたら日本に運ばれていた。
また日常が戻った。
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