シュンです。
前回の記事(【歴史】ハノイでベトナムを学ぶ① 中国とフランスの影響)では、中国とフランスの影響について書きました。
今回はベトナムの現代史(仏領インドシナ、第二次大戦、インドシナ戦争、ベトナム戦争)についてです。
ハノイの色々なところでベトナム戦争関連のものを見たし、やっぱりベトナムを学ぶ切り口としてベトナム戦争や現代史は重要だと思ったので。

仏領インドシナ~インドシナ戦争
仏領インドシナ
1887年から1945年まで、ベトナムはフランス領インドシナの一部としてフランスの植民地支配を受ける。
フランスは阮朝との何度かの抗争の末にベトナムを段階的に占領し、さらには介入してきた清朝(中国)を清仏戦争で破り、ベトナムを保護国化した。
カンボジアとラオスも仏領インドシナに含まれた。
独立運動と第二次世界大戦
仏領インドシナ内で、まずベトナムの知識人層の間で独立に向けた機運が高まった。
1917年にロシア革命が起き、世界初の社会主義国家であるソビエト連邦(ソ連)が成立した。
ソ連を中心に結成されたコミンテルン(簡単に言うと世界の革命運動を支援する国際組織 )との連携により、仏領インドシナでもいくつかの共産主義組織が誕生し、民族解放運動が増進された。
1939年に始まった第二次世界大戦でヒトラー率いるナチスドイツがフランスを破ると、ベトナムは日本の占領下(フランスからの解放という名目もあったが実質は…)となった。
1945年にドイツと日本が降伏(日本の降伏は8月15日)すると、ベトナム独立同盟会(ベトミン)による一斉蜂起が起こり、ハノイを占領した。
主席となったホーチミンにより、9月2日にベトナム独立宣言が発せられた。
インドシナ戦争
しかし第二次大戦後にインドシナ植民地の再建を目論んだフランスはコーチシナ(サイゴンを中心とするベトナム南部)に傀儡政権を樹立し、アメリカからの支援を受けベトミンとの戦争(インドシナ戦争)に乗り出した。
1954年のディエンビエンフーの戦いでベトミンが勝利し、フランスはベトナムから撤収するが、南側にはフランスの後を継いだアメリカの影響を受けたベトナム共和国(南ベトナム)が成立し、ベトナムは北緯17度線を境界として北ベトナム(ベトナム民主共和国 )と南ベトナムに分断されることとなった。
ベトナム戦争
北ベトナムは社会主義国であるため、ソ連や中国から承認され、援助も受けていた。
対する南ベトナムはアメリカや西側(資本主義)諸国からの援助を受け、北ベトナムと対峙した。
アメリカは当時ソ連と冷戦状態にあった。
アメリカは、ソ連と親しい共産主義の北ベトナムがベトナム全土を統一することにより、ドミノ理論で東南アジアの共産化が拡大することを懸念していた。
1960年に南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が結成され、南ベトナムにおけるテロやゲリラ活動を展開する。
1965年、アメリカによる北ベトナム空爆(北爆)が開始され、ベトナム戦争が始まった。
1975年に北ベトナムによってサイゴンが陥落し、南北の統一がなされ、ベトナム社会主義共和国が成立した。
ホアロー収容所
ホアロー収容所はフランス統治時代に政治犯を収容するために作られたが、フランスの撤退後は北ベトナムによって米軍捕虜の収容に使用された。
現在はその一部だけが残され、博物館として仏領インドシナ時代と北ベトナム時代の様子が展示されている。
北ベトナムの米軍捕虜に対する処遇はかなり手厚く、十分な物資や食料が支給され、医師による治療の様子やバレーボールやバスケットボールなどのスポーツをしている写真や映像資料が展示されていた。
米軍によってロンビエン橋をはじめとしてハノイの街が度々空襲を受けていたことを考えると、その状況下の収容所内にしてはかなり穏やかな雰囲気のように感じた。
これらはベトナムが意図的に「ベトナムは憎き米兵にも寛容な態度をとった」という展示にしているという面もあるとは思うけれど、写真に写っている米軍捕虜たちはどちらかというと柔らかい表情に見えた。
それに旅行中はベトナムの人の親切心に日々触れているから、この展示を見ても「ベトナム人は本当に優しい」と思えてくる。
ホアロー収容所跡にはフランス統治時代の展示もあり、見学した人によって色々な感想があると思う。
女性の活躍
ハノイにある女性博物館の3階歴史コーナーは、その展示のほとんどがベトナム戦争に関するものだった。
負傷兵を運んでいたり、治療していたり、捕虜を拘束していたり、女性民間兵を組織して軍事訓練を受けていたりと、女性が非常に幅広い役割を担っていたことが分かる。
当時、女性の民間志願兵の数はとても多かったらしい。
▼女性兵が軍事活動時に死亡した際、彼女の死体を包むためのナイロンの袋
軍事博物館
ベトナム戦争時に実際に使用された武器や衣服、軍事用品などが展示されており、生々しいものも多々ある。
説明があまり多くなかったので、分からないものが多かったのが残念だったが、戦争の凄惨さは十分に理解できた。
屋外には戦闘機などの展示もある。
余談①日韓基本条約
若干話が逸れるけど、これは絡めたくて。
(ちなみに僕は反韓意識は一切ありません。むしろ韓国は好き)
ベトナム戦争はアメリカ社会に大きな衝撃を与えることになったが、日本と韓国にも少なからず影響を及ぼしている。
当時、経済発展を目指していた韓国は、アメリカ(と日本)からの経済援助を目的にベトナム派兵を決めた。
韓国経済は朝鮮戦争によって衰退していたため、ベトナム戦争の「特需効果」で経済成長を遂げたいという思惑があったからだ。
同時に、日本へ「戦争(植民地支配)の賠償金」の支払いをさせるようアメリカに働きかけ、アメリカは日本へ「韓国への経済支援」という形を提案し、1965年に日韓基本条約が締結された。
その結果、韓国は日本から莫大な援助を受け、経済発展に繋げた。
アメリカは、韓国への支援の負担の多くを日本に負わせたかったのではないかとも考えられる。
そして、アメリカの仲介で無理やり締結に持ち込まれた日韓基本条約は英語、韓国語、日本語の三か国語でそれぞれの国の翻訳で解釈されるという形を取ったため、当然日韓両国の解釈は異なり、現在にまで続く「対日請求」問題が発生した。
このとき、歴史認識や竹島の問題については棚上げされた。
また、この条約では韓国が「朝鮮半島を代表する国家」となっているため、北朝鮮にとっては戦争(植民地)賠償がなされていないという認識にもなっている。
余談②韓国兵による被害
最近聞いて知ったことだが、ベトナム戦争時にベトナムの多くの村で、韓国兵による住民の虐殺が行われたという事実がある。
被害は虐殺だけではなく、婦女暴行も多かった。
そうしたなかで生まれた子のことをライダイハンといい、社会問題になっているようだった。
さいごに
ここに書いていないものも含めて、ハノイでは色々なところでベトナム戦争に関連する展示を見かけた。
それくらい、ベトナム戦争はベトナムにとって大きいことなのだということが改めて分かった。
そしてこれをきっかけにベトナムの歴史を学んで、古くから中国やフランスの支配を受けながらも、独立に向けて数々の戦争を戦い抜いてきたベトナムの人たちの不屈の精神と強さというものが、僕の中のベトナムの印象に加わった。
歴史を学んだだけで、その国に対する印象を決めつけてはいけないと思うけど、その国を知る上での視点の一つとすることは悪いことではないのかなと思う。

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