シュンです。
先月に日本に帰国しました。
バタバタしていたので久しぶりの日記ですが、これから更新していきます。
ペルセポリス観光へ
2017/8/12 イラン シーラーズ、ペルセポリス
シャワーを浴びて、朝食を食べて、午前はレスキューランジェリーの動画撮影をする。
レスキューランジェリーは災害時、被災地で使えるように開発された洗濯バッグ・下着のセット商品で、一時帰国のときに開発者の方に声をかけて頂き、今回の旅からこのバッグを使わせてもらっている。
そして今回使い方動画の制作に協力させてもらっているのだけれど、地面や壁がきれいではない安宿での撮影はなかなか難しい。
昼過ぎに出かける準備をして、ペルセポリスへ向かう。
歩いてバスターミナルに行く途中、昼食を食べる店を探すが、案の定ちょうど良いところがない。
仕方なく、途中で見つけたピザ屋で一番安かったベジタブルピザを買った。70000リアル。
バスターミナルからミニバス(25000リアル)に乗ってマルヴダシュトという場所まで行き、タクシー(100000リアル)に乗り換えてペルセポリスへ。
全部で1時間半くらいかかって到着して、16時前頃に入場した。
この時間でもすごい日差しで、まだまだ暑い。
最初の大階段は、馬が歩けるように小さな段にするため、一つの石から五段の階段を切り出したらしい。
ペルセポリスはすごく広い遺跡で、まずその規模に圧倒される。
全体を見渡すととただの朽ちた遺構にも見えるけれど、一つひとつのレリーフや模様はきれいでおもしろい。
▼すごくリアル
▼メイが気に入った、ユニコーン?馬?がライオンに噛まれている絵
ペルセポリスは、イランに行くと決めたときにイスファハーンのイマーム広場と並んで絶対に行きたい場所だった。
ペルシャの歴史は特別好きなわけではないけれど、この遺跡は見ごたえがあったし、資料集で見ていた古代文明の舞台に来れたという感動は少なからずあって、すこし興奮した。
この凄さは、実際に来てみないと分からない。僕の文章や写真では伝えられない。
アケメネス朝ペルシャは古代オリエントを最初に統一した王朝であり、当時絶大な権力を誇っていた。
数々の属国からの使者を描いたレリーフは、アケメネス朝ペルシャが当時いかに巨大な帝国だったかということを示している(本と照らし合わせてじっくり見すぎてて、写真を撮り忘れた)。
ペルセポリスを見学していると、一部のイラン人が、イスラム化前のこの時代を誇りに思っているのも分かる気がした。
イランは中東地域(イスラム世界)の中では少数派である非アラブ系だし、イスラム支配を快く思わない人たちは、古代のペルシャの時代に自分たちのアイデンティティを求めているのかもしれない。
行きと同じ方法でシーラーズのバスターミナルまで帰り、明日のヤズド行きのチケットを買って、そのままバザールへ行った。
バザールは明日散策しようと思っていたので、夕飯を食べる店を探しながら、さらっと見て回る。
活気のあるバザールだった。
20時過ぎ、広場には人がたくさんいて、お菓子やアイスを食べている。
イランではまだ、夕飯前のおやつの時間だ。
笛と歌のバスカー(たぶん地元のおっちゃん)が何人かいて、けっこうチップが入っている。
それを見ていたら、自分たちも明日ここでやってみようか、という気になってきた。
何軒かチキンケバブの屋台が並んでいるところを見つけて、そこで夕飯を食べることにした。
値段は一本70000~120000リアル。70000リアルでナン付きと言われた店で食べた。
肉が柔らかくておいしかったけれど、量が全然足りないし高い。
イランの外食はなかなか良いものがない。どれも少し高いし、ケバブ系は量が少ない。
サモサを食べて、卵とヨーグルトと水を買って宿に帰り、ゆで卵を作って食べて、青汁を飲んだ。
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